忍者ブログ

桜色の日々

カコバナ
[1] [2] [3] [4]

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

憎んだことがある

そんなに人を憎んだりしたことは今までなかったのだけれど
子供のころ一番憎いの両親だったし。

その話はいつかするとして。

大人になって、こんなに人を憎むことがつらいのか?!と
思うほど
憎しみは苦しみと同意語だった。

社交ダンスを習っていたころ、
ある時私より2つくらい年上の女性が
(名前を忘れてしまった・・・)
新しく教室に入ってきて、私に近づいてきた。
色が白くてかわいくて、ひと懐こい感じを受けた。

自分の話をよくする人で、
みせかけの謙遜があったかもしれないが、ほとんどが自慢話だった。
旦那さんがパチンコの釘師で給料をたくさんもらうこと。
自分は仕事をふたつくらいかけもちして優秀であるということ。
そして、旦那さんの帰りが遅いのでさびしいということ。

そして、プレゼント攻勢に出た。

パチンコ店の景品なのか?100円ショップで売っているようなものを
しょっちゅう私に持ってくる。
最初はありがとう、と言っていた私も辟易し始めた。

プレゼントすれば、友達になれると思っていたのか
休みの日には一緒に遊びに行ったこともある、
が、そこまで想いのない私にとってはかなり無理をしていたので
少しづつ避けるようになった。
忙しいと誘いを断ると、一転、彼女は私を疎んじ始めた。

友達の作り方を知らない女だった。

ただ愛すればいいのに、利用しようとした。
私は利用されたと感じたのではっきりと距離を置くようになっていた。

そうしたら、あることないこと嘘をつくようになったのだ。
ダンスの先生に私の悪口を言うようになった。
先生が明らかに彼女の味方をするようになり、
彼女は陰で舌を出しながら先生に
「○○さんが私をいじめた。」と言うようになった。

先生に
「私が信用できないんですか?!」と詰め寄ったこともある。

今まで何年も先生と信頼関係を築いてたと思っていた私は
打ちのめされた。

彼女はかわいい少女のような雰囲気を持った女性で
男性はついつい守ってあげたくなるようだ。

まだ30代だった私は、
自分の激しい感情をコントロールできなくなっていた。

売られた喧嘩なら買おうじゃないか、と怒りに変わった。

しかし、私の味方なんて誰もいない。
先生にさえわかってもらえたら、という私の願いも
徒労に終わっていた。

とうとう、彼女も精神的に追い詰められたようで
私に無言電話をしてくるようになった。
仕事中会社にかけてくる。
その頃、私しか出ない電話番号を教えていたので
平気でかけてくる。
自分の好意を無にされた、と思いこんで
私を憎んだ女のなれのはて。

今、どこで何をしているのかまったく知らないが、
あの憎しみの感情は
まぎれもない「嫉妬心」だった。

社交ダンスの世界は男性の先生ありきの世界だ。

先生に気に入ってもらうため、貢物をする。
お金がいるということだ。

そんな世界にもうんざりしていた。
もうどうでもよかった。
どうせ私はお金はない、だけどダンスの技術と
若さで先生のパートナーとして助手としての地位を守っていたつもりだった。
あっさりと貢物に負けてしまった。

私のポジションにつきたかった彼女。
でも、私が去ったあと、
興味を失ったようでした。
いつしか、先生を見放し、違う教室に移っていった。

そして、私もそんな先生を見限った。

社交ダンスへの強い愛も、ここで終わったのかもしれない。

憎しみからは何も生まれない。
生まれないどころか、自分の人生において
負の財産になり、
後悔の元となり、
その後の人生に教訓となることはない。

それから長い間、
そんな憎しみから離れて暮らしていることだけが救い。


PR

『泣いている』

泣いている
泣いている自分をみつけられない


混沌とした想いの中で
私の胸をしめつけているものが
やはりわからない

たくさんの答えを用意して
たくさんの未来を想定して
さまようほどに
探しているのに

ただ涙だけがとめどもなく流れる

幸せだった日々は決して色褪せないはずなのに
そんなんこと知っていたはずだったのに

何故、こんなに涙が出るのだろう

今夜は眠らずにここにいる
自分を見つめてここにいる





儚さ

愛する人が病気になったらどうするか、 それも、生死にかかわる大病。

どんなに願っても,聞き届けられるはずもない
そんな状況に陥ったらどうするか。

その絶望感はどう耐えればいいのか。

きっと自分が死ぬことより
怖くて打ちひしがれるかもしれない。

病弱な恋人をずっと支えてきた私は
自分の病気を言いだすことができなかった。

私より、ずっと儚いこの人を
精神的に支えることが私にできる唯一のことだと信じていた。

でも、それは違う。
やはり違う。

そう思い、別れてみたが、
それでも恋人の不幸が
突然降り注ぐ炎のように
私に襲いかかってくることがある。

健康に恵まれている人を見ると
羨ましくて仕方ない。
けれど自分の事は自分で解決できる。

でも、彼はどうするの。
あの人が生きてるだけで、私には生きてる価値があったのに。
彼が死んだら、
私にはきっと価値がなくなる気がする。

羨ましい気持ちと妬み、そねみ

自分がそんな気持ちを抱いていると
なんだかわかってしまうと
自分の不徳が表に出ているようで
すごく落ち込んでしまう。

何をそんなにうらやましがるのか。
自分がなりたい、と思ってた職業についている人、
自分が在りたいと思う、そんな人間性を持っている人、
自分がしたい、と思うことについて堪能な人、

別にお金を持ってるとか、家を持ってるとか
そんなものは羨ましくない。
この歳になると
家族を持てなかったことも、別にどうでもいい。

ただ、自分が努力もせずに
なりたいものになれなかったのは
単なる不勉強なだけなのに
羨ましいと思ってしまう。

それが嫌だ。
こんなに歳をとったのに、
まだ、そんなことを思ってしまう。

不惑はまだまだ。

悪性リンパ腫で死んだ元恋人

その人は、やもめだった。
若くして結婚して子供ができ、私と知り合ったのは32歳のとき。
すでに子供が11歳くらいだったと思う。
会社に子供と一緒に住み込みをしていた。

彼はお酒好きで、飲み方で一緒になると
しきりに私を気にして、なんとなく近づいた。
私も彼が好ましく思え、すごく人間づきあいに不器用だけど
とても根は優しい人だと思っていた。

ある日、飲み方の帰り、
その人を会社まで送って行った。
けっこう酔っ払っていたので。
そしたら帰り際、私をぎゅっと抱きしめてきたので
私から彼のおでこにキスをした。

私は24歳。
もう結婚を真剣に考えるような人でないと恋愛してはいけないと思っていた。
でも、バツイチで子供がいても結婚は考えられると、それから
私たちは一緒にいることが増えた。

けれど、社内では絶対秘密だった。
私は別に秘密でなくても良かったんだけれど
何故か彼が異常に気を使っていた。

あとで、わかったけれど、以前少し付き合っていた人が
社内にいたのだ。
私は若かったので、何か浮気でもないのに隠すことによって後ろめたさがあるのがすごく嫌だった。

日が経つにつれ
なんだか急に
「これではいけない」と思った。
そして決定的になったのが彼の言葉
「一生、結婚しない。」

秘密の付き合い、そして未来のない付き合いは私にはこれ以上無理だったのか。
その頃、親と同居していたこともあり、
夜にこそこそ出かけていくのにも限度があった。
いつものように彼から電話がきたとき、
理由をつけて断った。

それから何度か断った。

自然消滅のような形で私たちの関係は終わったが
それでもお互いに友情以上の想いを抱いていることはわかっていた。
ずっと好きだった。

社内で言葉を交わすことも避けていたが
眼はお互いを追っていた。
彼はきっと私の気持ちを察してくれていたと思う。

彼の元奥さんは子供が一歳にならないうちに子供を置いて家を出た。
そのことが彼は許せなく、一生許すことができない、と
そして、女性恐怖症と言うか、
女性を信じられなくなっていた。
たぶん、私は彼が心を許した数少ない女性の一人だったと思う。

結婚は絶対しない、と
彼の決意を聞いた時、すごく悲しかった。
こんなに頑なになってしまった、この人の人生ってなんだろう。
でも、私はまだ若い。
これから結婚しなければならない、
別れるしかない、とそんな気持ちだった。

それから数年して、子供が独り立ちをし、彼はアパートに居を移し、
一人暮らしを始めた。
釣りとお酒が趣味で、楽しく人生を送っていたと思う。
誰かと付き合ってると噂も聞いたりした。
もう、私のことは忘れたかな、とずっと思っていた。

そんなある日、
彼が入院した。
毎日、夜中、背中に激痛が走り、我慢しきれず
病院に行ったという。
結果は胃潰瘍だと知らされた。

入院したのでお見舞いに行くと、
ロビーでたばこを吸っている。
びっくりして
「たばこ吸っていいの?」と聞くと
医者から吸っていいと言われたと
「治療はなんもない、薬もない。」
と言った。

「胃潰瘍なのに・・?」
と、何か他の病気の影がちらついた。

それから、月日が流れ、
彼の具合もいいときもあれば、悪い時もあるといった感じだったが
やはり以前のような元気は取り戻せない。

社会保険の傷病手当金を申請するために
世話をしていた妹さんに頼んで診断書をとってもらった。
そしてそれには
「リンパ腫」と書いてあった・・。
愕然とした。
いったいどうなるんだろう・・。

けれど、病名を知らされてなかった彼は
普通に仕事をし、
それから2年間生きた。

ある日、病院に通っていた彼が
「腹が膨れてきた、なんだろう・・。」と言ってきた。

つたない医学の知識の中で
「腹水」という言葉が浮かんだ。
もう、長くないのでは・・と思った。

それから入院し、ほどなく亡くなった。

あとで、妹さんに、
最初に病院に行った時はもう手遅れで
最後まで病名を知らせなかったこと、
遠くに就職していた息子にも知らせなかったこと(心配するので)
などを聞いた。
亡くなる数日前にお見舞いに行ったが
すごくおだやかな顔をしていた。

私は
「私にだけは最後に何か言うことはなかったの!」と
ただただ号泣した。

付き合ってる人も実際いなかった。
ただの噂だった。
私と別れてからは、恋人がいなかったのか・・。
「結婚」にこだわならなければ今も愛は続いていたのか、
今となっては何もわからないけれど、

愛されていた、という確かな思いだけは
いつまでも私の宝物だ。



 
 
 
  
  
  
  

おだやかな新年

長い間、更新をお休みしました。
しばらく前の記事を読み返していたら
2010年に「地震」の記事を書いていました。

ハイチや北京以上の大地震がこの日本に起ころうとは。

http://thankyou50.blog.shinobi.jp/Entry/53/#comment

2012年の年末、
こうやっておだやかに新年を迎えられるということは
本当に幸せなことですね。
あたたかな日差しが冷たい風をやわらげてくれて
今日はいい天気です。

よい年が迎えられますように。


『もういない』

泣きたくなっても 我慢するよ

悲しい嘘は 君の為さ

ひどい男と思うだろう

憎い男と思うだろう

愛さえ忘れてしまえるなら

僕はどんな男にもなれる

君に罪があるとしたら

僕を愛したことだけだから


夜に冷たい風が吹いても

朝もやに鳥が鳴いても

隣の僕を探さないで

冷たいベッドに僕のぬくもり 探さないで


泣くことさえ 許されない

悲しい別れは 君の為さ

明るい光に包まれて

未来を夢見て歩いていく

そんな君を見れるなら


僕はどんな男にもなれる

新しい朝に祈ろう


だから僕を探さないで

いつもとなりにいて守ってあげると言ったけど

もういない僕を探さないで

僕は嘘つきだから

ぬくもり探さないで




『波』

改札を抜けるともう振り返ることができなかった
あの時

どうしても振り返ることができなかった
涙もぬぐえずホームに向かい
そして瀬戸内海を渡り
まっすぐに家に向かった

あれが永久の別れになることを知らず
ざわめく心を抑えながら
振り返らなかったことを後悔した

そのあと運命的な再開を果たすなんて
ドラマの中だけのこと

あの人と私の間にある海は
大きな波となって行く手を阻んだ

どんな困難にも立ち向かえると思っていたのに
ふたりならどんな波にもぶつかれると思っていたのに

恋ははかないものだと知ったあの時
絶望の底に沈んだ
深く深く沈んだので
明るい太陽を見ることができなくなった

波に流され
波に洗われ
波にさらわれた

私はどこへ連れていかれるんだろう
そう思いながら日々は無為に過ぎていく

心の一部を波に削り取られたまま
毎日が過ぎていく

『ゴミの山』

何もかも捨てたはずだったのに

このゴミの山は 私の恥の数
自分の身体の一部をちぎって捨てたもの

引きちぎられる痛みのすべてが
私の記憶から消えていない

ただ呆然とすわりこみ
見つめているだけのゴミの山

いつかキレイになって
心も身体も洗われて
許される身になったら
たくさんの人に恩返しをしよう

叶えられるはずのない夢をみて
泣くことも疲れて
すわっているだけの毎日なのに
手も足も拘束された人のように
すわっているだけの毎日なので

ゴミはいつしか増えていく

『紙飛行機』

自分の人生なんて
紙に書いた絵空事

ひらひらと風に舞って
どこかにいってしまう

たいしたことはなかったのよ
全然 たいしたことはなかったのよ

何を勘違いしていたんだろう

人格は何をもって語られるんだろう
それは現実

今、見えるその人の現実が
すべてを語る

だから
こんなたいしたことない人生を
紙飛行機にでもして
飛ばしたかったのよ

そうしてしまえば
何か楽になる気がして

ただ
ほんの少しのメッセージを

書いた紙を飛ばしたかったのよ

徒然に

いろいろと書いてきたが、
このブログを始めた理由は、
本当の自分を書き留めておきたかったということなので
実は、今までは周りのよけいな事を書いてきたに過ぎない。

私の人生は、大きな二つの恋ですべてが語られる。

この二人以外に私には恋人はなく、
これからも現れないだろう。

恋は命と同じ、という歌があったが
まさしくそういう燃えるような恋をしてきた。

他のことはどうでもいいのだ。

私の今の人生は、付録のようなもので
一生懸命生きてはいるが、
いつ死んでも心残りはない。

結婚という形にならなかった恋ではあるが、
結局、死ぬときは一人という
本当にその事実を悟ったので
別れを選んだのだ。

どんなに愛しても一緒に旅立てるわけではない。
愛する人が先に死ぬかもしれないという恐怖を
長い間感じていた。
耐えられなくなった。
恐怖で身が縮む。

この人を先に死なせるくらいなら、
私が先に死にたい。

今は遠くから見つめ、
いつしか忘れ、
恐怖を感じることなく
しかし、喜びも感じることなく
一生を過ごしていくのだろう。

『何もわかってくれない』

あの人は何もわかってくれなかった

今、現実の目の前にいる私だけが

ほんとうの私だと思っていた。

私には過去も未来もあった

過去の私が今の私をつくっていることを認めてほしかった。

私の希望も理解しようとしてくれなかった

そして私は口を閉じた。

強く抱きしめて口づけされても

心をどこに持って行けばいいのか

皆目見当もつかなかった。

私は今の私を愛されて、とても幸せだったけれど

川岸は遠くなるばかり

渡し舟は流されるばかりだった。

今、目の前にいる私を見つめているはずのあなたの目が

光を失い、希望を失い、生きる力さえなくしそうな

何も見ていない目に変わっていくことが耐えられなかった。

私がそうした。

きっと私を愛したことで、彼は希望を失ったのだ。

見てくれないのは私ではなく、

自分の人生の希望だったに違いない。

長い年月を経て

徐々に忍び寄る黒い影に怯える毎日を

白い一枚の紙に戻したかった。

何が楽になったか

どこかに戻ることができたか

それはわからない。

ただ、長い二人の蜜月が

色のついてない日々だったことを

漠然と思い出すだけだ。

バイトで勉強したこと

喫茶店のバイトでは随分男性客と仲良くなった。

ひとりで来る人が多く、多くは個人経営のお店や会社の経営者だった。
平日の昼間に来るのだから、当然そういう人たちだ。
しかし、時代だ。

いくら個人経営といっても、のほほんと昼間からコーヒー飲んでだべっていくのだから、
どんなにみんなあくせくしてなかったか、わかる。

喫茶店が今、なくなってしまったのも、
サラリーマンや商売をしている人たちの心が、長い間の不景気ですさんでしまったからだと思う。

今はカフェが大流行だが、あの頃の喫茶店には、そこそこのオリジナルメニューがあり、コーヒーも淹れ方で随分味が違い、
コーヒー通が、通を誇っていろいろな喫茶店に通い自慢話に花を咲かせたものだった。

そこは、社交場でもあった。
若き経営者や二代目の交流の場であったのだ。
今も、その時コーヒーを飲みにきていた仲間が、立派に社長をやっているのを見ることができる。
しっかりと地に足をつけて経営してこれたのも、
こういう場を上手に利用していたからだと思う。

アルコールもあった。グラスビールを出していたからだ。
ほとんど飲む人はいなかったが、時々いると、
昼間から飲むなんて~と珍しかった。

私はスナックの手伝いもしたことがある。
そこはもう会社勤めをしていたとき、友達がスナックを開店したので
オープンのときだけ手伝いにいったのだ。

仕事は喫茶店とさほど変わりはない。
出すのがアルコールかコーヒーかの違いだけ。
昔のスナックはコーヒーも出すところが多かったので、
締めはコーヒーなんて人も多かった。

洗い物だけは得意だったので、カウンターの中でひたすらグラス洗いとかちわり氷を作ることだけやっていた。
酔っ払いの相手をするのは好きじゃなかったので、
それは友達に任せて、もくもくと働いていた。
それでも人間観察は面白かったし、
スナックのバイトはそれなりに社会勉強に役に立った。

接客業は人付き合いの勉強になる、それを身を持って体験できたのはとても自分の為になったなあとつくづく思っている。



【弱い女】

まだ5歳くらいの男の子を連れた若い女が
私の部屋にいて、テレビを見ていた。

「やっぱりTVはおもしろいわねー。ねえ、見て見て。」
と女は誰に言うでもなく一人ではしゃいでいた。

「誰なんだ・・、この女、そして何故私の部屋にいる、
私の部屋にTVはなかったのに、何故あるんだ。」
私は思いながら、
「私はテレビは嫌い!」
と一言だけ口にした。

女は困ったような顔をこちらに向けたが、
私より数段若く、まだあどけなさが残る顔立ちだった。

私には恋人がおり、どうやら、その恋人が連れてきた女らしかった。

何故、私のところへ来たのか?
その疑問は解けないまま、私たちは一緒にいることになった。

子供はとてもかわいらしく、マルコメみそのCMぼうやのような頭をしており、賢そうだった。
私はひとめでその子が気に入ったが、
恋敵の子供ということで、素直にかわいがってやれずもどかしい思いをしていた。

そして恋人が現れた。
何もしやべろうとせず、ただにこにこと私たちを見ている。
彼女も、私と同じように私に負けないくらいその恋人が好きだったのだろう。
こういう状況に文句を言うこともなく、彼に気を使っていた。

私はよく考えた、この女は身寄りがないのだろう、行くところがないのかもしれない、
彼は困って私のところへ連れてきた、
私ならなんとかしてくれると思ったのだろう、
けれど、安っぽい言葉で私をだましたりしても、
私はすぐに見抜くだろうし、
ここは黙って、流れにまかせるしかないと判断したのだろうか。

いつもの男のずるい考え方だった。
そして、それを許してしまう、私の「惚れた弱み」だった。

女は彼に100%頼ってるというふうでもなかった。
自分の立場をよくわきまえ、私に気を使い、
お姉さんが彼の恋人です。私は・・・その次です。
そう無言で言っているような態度だった。

それをされている限り、ほんの少し私には安堵があった、
けれど、それで嫉妬の炎が収まるわけでもなく、
ゆらゆらと種火のようにくすぶる炎を身の内に感じていた。

そして私が何か言おうとすると、決まって彼は、私を抱きすくめ、
床に押し倒してきた。
「何するの・・」
無言。彼は何もしゃべらない。

ああ、こういう男なのね・・・、
わかってはいたけれど、悲しい。

「何故、あなたは一人の人だけを愛せないの?」
そう私は聞いた。

わかっていた、わかってはいたのだ。
彼が本当に愛しているのは私ひとり。
けれど、弱った人、困った人をみれば拾ってきてしまうのだ。
彼女は子連れで、息子とふたり頑張って生活していたのだろう、
そこに彼と知り合ってしまい、
恋する女は、途端に心のバランスを失ってしまうのだ。

そんなことは自分が経験済み、よくわかっている。
心のバランスを失ったあとは、
ただ男の言うとおりに、「ついていきたい!」と切なく想うものなのだ。

子供とふたりで力強く生きていこう、といつかの日に決心したばかりなのに、
彼と出会ってしまったために、
弱いか弱い女になり、私の気持ちを窺いながら
なんてかわいそうな女になりはてたか。

私は強い同情を、そして同じ想いをしてきたものとして、
私も又、女を見捨てることができなくなっていた。



【完全フィクションです】

バイトで知り合った人々

何ヶ月かバイトを続けた中で、
知り合ったメンバー。

バイト仲間には同級生もいた(男性)
そこでなんとカップルが2組も誕生した。
ただの恋人同士ではない、
結婚しちゃったのだ。

仲をとりもったりもした。
若いからいろいろあって、
ケンカだとか、お互いの過去だとか。

一組の夫婦は絵に描いたような美男美女カップルで、
そのバイトで培った飲食業のノウハウを生かして
ショットバーのようなお店を始めた。

もう一組は同級生と、特に私と仲の良かった女性とのカップルだった。
ここはできちゃった婚で、
結婚式はつわりの真っ最中でとてもかわいそうだった、

ほんとにいろいろある。
でも、このバイトは、マスターがおらずバイトだけでまわしていたので
結束力が強かったのだ。
メニューでも技術を要するものは、マスターのお墨付きをもらわないと作れなかった。
当然、作れる人がリーダー格になり、尊敬された。

そういうことで若いときは勘違いして好きになるものなのだ。(笑)
何故こういうことを言うかというと、
この2組は今は離婚してしまっているからだ。

一番リーダー格だった男性は優しくてかっこよくて性格もとてもよかったのだが、
どうしても浮気癖がなくならなかった。
娘が生まれて幸せな日々だったと思うのに、
いつのまにか、彼はいなくなり、
風の噂では借金でひどい生活をしているとか、親兄弟にも見放されたとか
そういう話しを聞いたきりになってしまった。

奥さんのほうは娘と一緒に力強く生きている。

もう一組はよくある嫁姑の関係でつまづいてしまい、
奥さんは保険外交を始めたが交遊のために借金を重ね、
とうとう別れさせられてしまった。
だんなはその時の奥さんの借金を最近まで払い続けいていた。

奥さんはどこへいったやら、今となっては消息がわからない。
再婚して幸せにやっているのかどうか。
こちらは子供がふたりいて、だんなが引き取っている。

私はといえば、結婚を約束した恋人と、遠くはなれてくらしてはいたが、
まったくどんな男性にも心を動かされることなく、
まわりのどたばた恋愛劇を傍観しているだけだった。



次のバイト

次のバイトは喫茶店だった。

割と大きなところで、ボックス席が6くらい、あとはカウンターも広かった。
なので、常時2人以上はいないととてもまわらなかった。

バイトは全員で4人、マスターはあまり店におらず、ランチの仕込みだけはきっちりしてあった。

そこで覚えたことは、まず接客、応対、そして喫茶店だからコーヒーの入れ方、ランチの作り方、だ。

マスターは、お寺の息子だったが、しばらく飲食店で修行をした人で、料理はお手の物だった。
メニューは、
「カツどん」「カツカレー」「焼肉定食」「しょうが焼き定食」「納豆ピラフ」「高菜ピラフ」「ナポリタン」「ミートソース」「ミックスサンド」などだった。

カツは揚げてある、カレーはできてる、焼肉も、しょうが焼きも、できていて冷蔵庫に小分けして入れてあった。

あとはごはんを入れてカツを卵とじしてごはんにかけるだけという、ごく簡単な作業。
だしも作ってあった。
この頃は、まだ、便利なものはあまりなかったので、たいていのものはマスターの手作りだった。

これらの作業で一番むつかしかったのは、サンドイッチで、パンにいろいろな具材をつめて切る、という作業だ。
パンに塗るソースも特製ソースで自分たちで作っていた。
だからたっぷり塗って、たくさん具材を乗せるともう大変。
柔らかいパンだとぐにゅうって身が出ちゃうのだ。

ナイフを手前に引きながら慎重に慎重に・・。
元来ものすごく不器用なので、最後までこれがうまくいかなかった。
パンにソースがついてきちゃなくなり、
指をなめなめお客にだした。
いいや、これで・・・。

カウンターの中も厨房も一人でやらなければいけないこともあり、ランチの時間はてんてこまい。
みかけを気にしてる場合ではない^^;

手早くどのくらいの作業をこなせるかが、若いバイトにとっては、
自分のモチベーションになっていた。

貴重な経験

催促の電話をすると、必ず、払えません、と言われる。
まあ、電話がつながることのほうが少ないのだけど。

一回、年配の人だったと思うが、
「返済のほうは・・・?」というと
「おたくの社長に言え、おら、もう死ぬけん、
首つって死ぬけん、そう言え。」

って言われても困る。なんて返事していいのやら。
ものすごく困った、死にはしないだろうけど、
死なれたら困る。

社長に告げると
「ほっとけ、そんなん。死にゃーせん。」
と言われた。

借りたもの勝ちなのか、
借りた人たちは、払えない、それがあたりまえだろうっていう態度だ。
みんながみんなそうだ。

たぶん、私でもそう言うかも。
あまりに金利が高いから。
でも、みんなその事に対しては文句は言わないのだ。
もちろん借りるときに説明を受けてるのだとは思うが、
総じて、金利に対する知識がなかったのだと思う。
あったら、借りない(笑)

そんなこんなするうちに半月が過ぎた。
あるとき、社長の娘が事務所に遊びに来た。
高校生でかわいくて、純真そうな子だった。

社長はもうデレデレ。
かわいくてたまらないようで、いっぱしの父親のような言葉を吐いてたので私はものすごくびっくりした。
この悪党が?娘にはこれ?
私は娘に、「お父さんはこんななんだよ。」と言いたくてたまらなかった(笑)
彼が仕事でたくさんの人を苦しめて、尚且つ汚いことをしてお金を儲けようとしていることを。

その事務所には、不動産屋や金貸しがしょっちゅう出入りしていた。
そこに大ボス的なオヤジがいて、
いつもその人を取り巻く形で、よいしょ軍団がいた。
大ボスはヨットを持っているらしく、お金持ちのする遊びが大好きで、
彼に取り入っておけば仕事も遊びもスムーズに楽しくやれるようだった。

傍で話しを聞くともなしに聞いている私は、
こういう仕事の裏側や、金融のおそろしさをじわじわと理解していった。

それでも半月もすれば限界に近づいていた、
そういうときやっと給料日が来た。

確か日当だったと思う。半月分の日当をやっともらえると思って楽しみにしていた。
そしてもらった給料。

中身を見て愕然!
言われていた金額と違う。
あまりに違う。
むちゃくちゃだ。

頭に血が上っている私は社長に聞いた。
「何故、言われていた金額と違うのですか?」

「はん?そんなん・・。何を言ってるんだ。」
と、こうこうだから少ないと説明を始めた。

まったく最初から聞いてなかったことだし、普通の人が納得する話しではなかった。
彼はとても私のことを誤解していたと思う。
おとなしい子だろうと。何も言わずにもくもくと働いていたので。

ところがどっこい私はそんなタマではなかった。
頭がくるくると回転して
「こりゃ、いい機会だ、言いたいことを言ってやめてやろう、言わないと気がすまない。」と思った。

悪態をついて「あなたがそんなんじゃ誰もついてきませんよっ!」
と言うと、反論してくる社長を尻目に
ドアを思い切り音をたてて閉め、そこを後にした。

なんにしてもお金をもらってからでないとやめられませんからね。^^

後日談、
そこの社長は詐欺罪でつかまった。
ご苦労さんでありました。
服役したのかは知らないけれど、罪を犯したことには変わりはなく
ほんとに早くやめてよかったと思うばかり。

まっとうな人間が損をする、なんて考え方は、本当に間違ってると思う。
人をだましてお金を儲けたり、
汚い手を使ってまで自分の利益をとるような人は
会社をやる資格はないし、
ましてや、サラリーマンでも出世はしません。

それからもうひとつ後日談がある。
今、現在勤めてるところの、仲の良い先輩女性がいるのだが、
なんとあの時の大ボスの娘だった。

大ボスの正体は、銀行のOBで手広く金融・不動産をやっており有名な資産家だった。
彼女もまた、父親から目の中にいれても痛くないほどにかわいがられており、
彼女のことは好きだけど、なんとなく複雑な気分になったものである。


サラ金のしくみ

今では、一般的に知られているサラ金の恐ろしさだが、
当時は、まだまだこの金融が全盛期で
町のいたるところに、ひっそりとしたサラ金がたくさんあった。

借りる、返せない、暴力団から脅される、
これはセットである。

帳簿を見て気付いたことがある。
それは圧倒的に借金をする人は公務員が多いということだ。

帳簿は何故か、職業別に分けてあった。
公務員か、サラリーマンか、その他か。

公務員でも、学校の先生、市役所の職員が主であった。

よくよく考えてみるに、この人たちが薄給だったというのはわかる、
けれどこういうところで借金をするというのは
最終手段なのである。
公務員は、ボーナスも給料もなくなることはないという甘い考えの持ち主が借りに来る。

どこからも借りれなくなって、仕方ないサラ金で借りるか、
と言って借りにくる。

当然、返せないのである。
何故なら、毎月の返済が利息だけでせいいっぱいだから。

高い金利を払うだけでせいっぱい、それに加えて払える人なら借りはしない。
例えば30万借りたとしよう、
毎月の利息が1万円くらいになる。
利息だけで。
計算方法も実にアバウトで、9500円だったとしても1万請求していた。

元金を返せる人なんていなかった。
当然、何日まで返すという契約があるので、
その日にお決まりのように催促する。
毎日毎日催促する。

私の仕事は催促の電話が主だった・・。

本当は返してもらわなくてもいいのだ。
だって延々と利息をもらい続けて、それで儲けているのだから。
明らかに違法であるが、
借りている人たちにそういうことはわからない。

今は弁護士に頼めばすぐに任意整理してくれるし、
広く、こういう町金融の知識が知られるようになった。
けれど、あの頃はまだまだ誰も知らず、
苦しめられる人は後をたたなかった。



バイト生活

田舎に帰ってからすぐに困ったのが、お金である。

そりゃそうだ、東京で3ヶ月も遊んでしまったのだ。
楽しい楽しい3ヶ月だった、
人生の中で例えるならバラ色の月日だ。

けれど、田舎に帰ったら現実が待っていて、数年間で貯めたお金は綺麗になくなっていた。
まず、自動車学校に行った。
これは再就職にどうしても必要な免許だったので
取得しなければいけなかったのだ。

それにはさしあたり現金がいる、
遊ぶ金もいる。
実家にはいたが、お小遣いなんてもらえる身分ではない、
小さくなってる居候だった。

まず行ったのが小さな喫茶店のバイトだった。
ほんとに数人入ればいっぱいくらいの小さなところ。

ランチの作り方を教わった。
ここのランチはすごく簡単なものだったので
なんなくできたが、お客が来なかった・・。

ママは忙しい人で、あまり店におらず、
店番の私はただぼーっといるだけだった。

それからしばらくして、
そのビルの2階にある会社でバイトしないかとママに言われ
あまり深く考えずにOKしてしまった。

が、しかし、ここはとんでもないところだったのである。

昔で言うところのサラ金だ。
社員はおらず、バイトは私だけ、

帳簿を一冊見せられ、
これにつけていって、とざーっとつけ方を教わった。
なんて帳簿だ・・。
見れば見るほど簡素な帳簿。
要するに個人の貸付の帳簿だったので、
名前と貸付金額と返済金額が書いてあるだけだ。

この会社は(と呼べるほどでもないが)
実に、私に、社会の裏で生きる人たちの実態を教えてくれた。

若者特有の正義感に溢れ、真っ正直で生きていかないと!と頑なに思い込んでいた私が
だいたいこんなところで働けるはずもなかったのだ。

不思議なしかも納得できない事

一番最初に就職した会社を退職したあと、
自分がなりたい職業はなんだったかな、と
少し、がんばってみようかな、と
職探しを始めた。

もちろん高卒なので、たいしていい就職口はない。
私が望んでいるのは出版社だった。

どんな出版社でもいい、編集者になろうなんてぜいたくも言わない。
ただ、そういうクリエイティブな仕事に立ち会ってみたかったのだ。

そして見つけた一件の会社。
まだ20歳の私は、そこがどういう会社であるのか、書類上だけではまったくわからなかった。
とにかく新聞の出版だということだけわかっていた。

他に探してもなかなか見つけられないので、とりあえずここに就職し、がんばってみようかな、と思った。

さて、あれは渋谷だったか、どこだったか、もう場所も忘れてしまったが、割と都内の真ん中にあり、周りはセンス溢れる都会の街だった。
けれど、行ったところは、なんとなく淋しいうらぶれたビルで、
その一室に事務所はあった。

「学術出版社」と書かれていた。
たぶん、もうないと思うので名前を出しても平気だ。
出してる新聞は「学術新聞」小さなサイズの8面くらいの新聞だった。

内容は@@)私などにはさっぱりわからない記事ばかり。
要するに、学術というくらいだから、大学の先生、病院の先生、学者、などが購買層だったらしい。

記事もわからなければ、ここの人たちが何をしているのかもさっぱりわからなかった。
みんな何をしてるんだろう・・・。

社長は?社長は、面接のあと、数回顔をみただけで、全然出社してこない。
聞けば「うちの社長はここは趣味で経営してるのよ」と言う。

私には趣味で会社をするという意味もさっぱりわからなかった。

そして私に与えられた仕事は、その新聞の宛名書きをし、郵便局に持っていく事だった。
それ自体は別にイヤではなかったが、毎日毎日同じ事をさせられた。

それに納得いかなかったのは、宛名が名簿があるわけでなく、電話帳を見て書かされることだった。

今、考えればよくわかる。
そういうふうに無作為に送りつけて、あとで請求書を送るというやつだ。
しかし、その頃は誰に聞けるわけでもなく、もくもくと言われるがままの仕事をこなしていた。


そのうち、だんだんフラストレーションが溜まってきた。
これは・・このままでは困ったことになるかもしれない・・。

優しい先輩だったのだ、二人の先輩が私をお昼に誘ってくれた。喫茶店に行き、ランチを食べながら話しを聞いた。

「あなた、この会社、何か変だと思うでしょ?」
「求人票にはボーナスもあるって書いてあったでしょ、でも出たことないのよ。」
(それは困る・・・)
「ここにいてもろくなことにならないわよ。」
「私たちも来月やめるつもりなの。」
(えええ~っ@@)
「悪いこと言わないからやめなさい。」
(えええ~っそうなの?@@)

私に選択の余地はなかった、好意の忠告をきかないわけにはいかない。

すぐに翌日から行くことをやめ、会社には電話し、
「すみません、退職します。」と告げた。

驚いたことに長くいたような気がしたが、一週間しか経ってなかった。
優しい先輩社員のおかげで一週間分の給料もきっちりいただくことができた。
これだけは嬉しかった。

就職だったが、バイトと同じだ。たぶんまだ社会保険も入ってなかったと思う。

このたった一週間の経験は私にいろいろなことを教えてくれた。

社会は甘くない。
甘くないけれど、利口になれる。
私はこうやってどんどん利口になるんだ、と思った。


水色 深緑
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
フリーエリア
最新TB
プロフィール
HN:
れい
性別:
女性
職業:
会社員
自己紹介:
大波小波、もまれていつしか岸に流れ着いたか!?
それともまだ漂流中?
バーコード
ブログ内検索
カウンター
最新CM

忍者ブログ [PR]