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桜色の日々

カコバナ
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そして・・・。

警察には彼のご両親も呼ばれていました。

直接お話しすることはできなかったので、刑事さんに
「とにかく病院へつれていってください、と言ってください。」と何度もお願いしました。

ところが、ご両親はかたくなに口を閉ざしており、
「うちの息子がそんなことするはずはない。」とだけしかおっしゃらなかったようです。
田舎の農家です。
一人息子に傷がつく、と思っていたのでしょうか。

刑事さんの話では、彼はやはりとても精神状態がおかしく、
話しが通じない、ということでした。

どうやって、家に入ったかと聞くと、
「何も覚えてない。」と言うそうです。

そして時間が経つにつれ思い出したらしく
「最初、忍び込もうと思ったが、どこも鍵が開いてなくて、唯一お風呂の窓の鍵が開いていたけれど、格子がはまっていたので、
いったん家に帰り、工具をとってきて格子をはずした。」

と言ったそうです。

とても小さい窓です。
そこから忍び込んで、いったい何をしようとしていたのでしょう。

彼の異常な行動で、ご両親の態度で、すべての謎が解けたような気がしました。
彼はもともと、精神分裂症だったのでしょう。
今は総合失調症といいますが。

この病気は一生治ることがありません。
少し病院で治療を受けると、治ったようないい状態になるので退院するのです。
けれど、何かのきっかけで又悪くなり、入退院を繰りかえすことになるのです。

彼が「自律神経失調症」と言ったのは精神病のことだったのですね。
そして彼の恩人は、又、私と同じように、
ストーカーの被害に合っていたと思われます。

今はいろいろと病気のことも勉強したし、
そういう病気の人たちのことを思うと、胸が苦しくなりますが、

当時はそういうわけにはいきませんでした。

その事件が終わって一週間くらいたったころでしょうか、
彼から手紙が来ました。

便箋20枚くらい、びっしりです。
そして、とても読み続けられなかったので捨てました。
内容は、今までと同じです。
愛してると言ったじゃないか、ということです。
それが20枚に亘って書かれているだけです。

そして無言のストーカーが始まりました。
会社の帰りなどに待ち伏せしているのです。

けれど家にくることはもう無くなりました。
何故なら私が引っ越したからです。

さすがの彼もあきらめたようでした。
それ以来2度と会っていません。

今はどうしているでしょうか。


そんな事があったあと、私は自分を責めて苦しかった。
彼の人生を狂わせたのは私なのか?
そして、何故自分はこんな目にあったのか?
私の生き方が間違っているのか?
恋愛はもうこりごりだ。
恋愛結婚などといわず、今、この時に
見合い結婚してしまえ、と思ったのです。

安易な考えであり、又、若者の浅はかさでありました。



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刑事

刑事さんの事情徴収が始まりました。

刑事さんは優しい顔をしていましたが、
融通はきかず、私の訴えは軽くかわしていきます。

こういうときは喧嘩両成敗、というのか、どちらが悪いという前提で話はきけないということです。

交通事故のようなものですね。

けれど、怒りと心身の疲れで精神状態が最悪だった私にとって、これは堪えました。

彼との出会いから付き合いの間、そしてどうしてこういうふうになったのか、全部話さないといけないわけです。
「なんで私が、こんな警察に話さないといけないんだ!」
という憤りで頭がいっぱいでした。

しかし、疲れとあきらめで、どうでもいいと思うものなのですね、こういう事情徴収は。
私は罪人ではない筈なのに、何故ここにいて、何故こんな話をしなければいけないのか?

ただただ、
「あの人は精神状態がおかしくなっています、病院に入れるようにご両親に話してください。」
と私の訴えはそれだけでした。

他のことはどうでもいいです。
このストーカーが終わってくれることだけを望んでいました。

それから何時間たったのでしょうか。
夜が明けて、やっと解放されました。

結論は、

「あなたのお義兄さんが、彼を殴ってケガをさせた、正当防衛にはなるけれど、先に手を出しているので、あなたが家宅侵入で訴えても、逆に訴えられる場合もあります。ここは穏便に示談ですませてください。」

とかなんとか言われました。

「はああ?・・・・・」
でした。

通報

身も心もだんだんと追い詰められていきました。

ストーカーを受けたことのある人なら、わかると思いますが、
その恐怖は、幽霊なんてものとも比べられないほどです。

どこから現われるかわからない。
いつも監視されているのです。

まだまだ暑い寝苦しい一夜のことでした。

そろそろ現われるんじゃないか、という予感がしていました。
2階の窓は締め切りました。
それでも落ち着きません。
しばらく横になっていましたが、どうしても胸騒ぎがするのです。
絶対カギは閉めたし、誰も入ってこれないはず、と思っては見るものの
不安感が襲い寝られません。

とうとう、1階の居間に降りてきて、今日はここで寝るから、と家族に伝え横になりました。
1階ももちろん、戸締りは万全です。
義兄がとても用心深い人だったので、家族は固まって4人で別部屋に寝ておりました。

一階に下りてきた、隣の部屋に家族は寝ている。
もう寝なくては・・とうつらうつらし始めた時です。

ふっと何か頭のところをよぎったような気がしました。

誰かいる!?!

金縛りにあったように体が動かなくなりました。
首を頭のほうに向けようとするのですが、恐怖で全身が凍りつき
動かすことができません。

しばらくその状態でいましたが、どうしても気配がするのです。
真っ暗な部屋に真っ黒な影、ゆらり、と揺れています。

それを確かめようとやっと体を起こしました。

そこに!
居たのです、彼が!

枕元に立っていました。
私は驚きのあまり、声を出し、後ろに飛びのきました。

彼は、声を出すな!と私に寄ってきました。



もう、終わりです。
こんなことはもう終わり、
観念しました。

義兄が絶対に出て行こうとしない、彼を殴りました。
そして騒ぎを聞きつけた近所の方が、110番通報したのです。
夜中2時は回っていました。
それから事情徴収のために、私と彼は警察へ連れていかれました。

 

何の病気?

彼は、新興宗教のようなものを信じていました。

名前は伏せますが、小冊子を持ってきて私に見せてくれました。
いろいろためになる言葉が書かれていて、
私もとても気に入って、一緒に読み、語りました。

そしてその関係でとてもお世話になったご夫婦がいるということで、
彼の話を聞き、私もその人たちのことを尊敬していました。

彼はとても純粋で、世間ずれしていなくて、
農業の仕事をただもくもくとこなし、毎日ご両親と一緒に働いていました。

そんな気持ちのきれいな彼を好きになり、
私は本当に幸せでした。

彼は以前に、少し入院をしていたという話をしてくれました。

「自律神経失調症」だったというのです。

とても苦しくてつらかった、と言っていました。

私はその言葉は聞いたことがあったけれど、それが入院するような病気なのか?ということは分からず、
そうなのか、そんなにひどくなるとつらいんだな・・と思っていました。


そして、彼が異常な行動をとるようになって、途方に暮れて、
ハタと、前述のご夫婦のことを思い出しました。

なんとか電話番号を調べ、電話しました。

最初から「・・・・・・・」無反応。

あんなに彼が慕い、家にも呼ばれて親しくさせてもらったと言っていたのに、
何を言っても、私たちには関係ない、という感じの応対でした。

私の訴えを聞き、それは私たちにはどうすることもできません、ときっぱり言われました。

頼みの綱が切れて、またもや私は行き詰まり、
思うことはただひとつ、
「私が悪かったのか?!」ということ。

私が彼を俗世に引き摺り下ろしたのだろう、
そして、汚れた世界を見せてしまい、彼の人生を狂わせたのだろう、

その思いが私を支配し始めて、
それと同時に、自分の愛を否定するなんて、
それは、私自身ができない、とも思いました。

相反する考えが私を苦しめました。

見えない、聞こえない

私は精神的にうちのめされていました。

彼は部屋に入ってきても、何をするわけでもありません。
ただ、私の前に立ちはだかり、復縁を迫るだけです。

何度嫌いになったと言っても、頑として聞き入れようとしません。

嫌われようと、汚い言葉で罵ってもみました。

彼には何も聞こえていないようでした。

私の言葉は通じない、まるで外国語のようだ・・・。

家族の迷惑になるから、近所迷惑になるから、
そして何より、あなたの好きな私が不幸だから。

それも何も通じません。

どんなことを言おうとも、しようとも、彼の言うことはひとつでした。

「お前はおれが好きだ。そう確かに言った。」と。

その行動の異常さ、目つきのおかしさ、
とても尋常の精神状態には見えませんでした。

そして、私は重要なことを思い出したのです。

同じことの繰り返し

部屋に入ってきた彼はこう言いました。

「おまえは、まだ僕のことを好きなはずだ、あのとき、別れないでくれと言ったじゃないか、ずっと愛してると言った。」

話になりません。
とにかく、どうやってここまで上って来たのか、何故こんなことをするのか、尋ねましたが、それには一切答えてくれません。
何度、出て行ってくれと言っても、頑として動こうとしません。

ほとほと困り果ててしまいましたが、階下には姉の家族がいるので大声も出せず、
どのくらいいたでしょうか、私が疲れ果てた頃に帰っていきました。

くたくたになって眠れぬ一夜を過ごしましたが、
それはほんの序章に過ぎなかったのです。

それから、幾度となく、彼は屋根に登り続けました。

真夏の2階の部屋を夜は閉めきらねばならず、今夜はもういいだろうと油断をすると必ず、侵入してきます。

彼とは、友達の結婚式で知り合いました。
なので、共通の友人がいます。
その人に頼んで説得してもらおうとしました。

けれど、男同士の為か、やはり彼の言うことを鵜呑みにし、
どうしても女の立場では理解してくれません。

それでも必死で訴えて、とにかく家にくるのだけはやめさせてくれ、と頼みました。

いつかは、部屋からは追い出したものの、屋根からは降りようとしなかったので、友達に来てもらい説得を試みました。

それでも降りてこないのです。

まるで猿のような身軽さで屋根に登っているのです。

それから

それからしばらくは彼もなりを潜めていました。

私も、少し安心して、日々を過ごしていましたが、
姉一家が帰ってくることになり、
そのまま私は姉一家と同居することになりました。

2階の一部屋をもらい、暮らしていましたが、
まだ小さい甥っ子や姪っ子がいて、とても楽しかったです。

それがある日、
真夏のすごく暑い日でした。
クーラーもなかったので、窓を開け、お風呂上りでベッドに腰掛けていた時でした。
なにか動く影を見たのです。

ぎょっとしましたが、ここは2階、
誰もいるはずがない!
そう思ってみたものの、やはり気になります。
無防備な格好をしているし、

おそるおそるベランダを覗きました。
誰もいません・・・。
やっぱり気のせいだったか、と思いました。

もう一回覗きました。
そうしたら、真っ暗な外のベランダのほんとに端っこのほうに
真っ黒な人影が見えたのです。

危うく叫びそうになりました。

彼だったのです。

いつからそこにいたのか・・。
底知れぬ恐怖を感じました。

気付かれた、と思った彼は部屋に侵入してきました。

3人で・・。

その時つきあっていた彼氏と、やはり私の家でくつろいでいたときのことです。
突然やってきた元恋人は、
玄関に居座り、動こうとしません。

何故、ほんの月に2、3度くらいしかこない時に、偶然やってくるのか・・。

それは今考えれば、毎日、家の周りを張っていたのでしょうか。

一回目はなんとか帰しました。
彼氏はハナから疑っていました。
まだ続いていると思っていたのです。

それから、又、ふたりで居るときに偶然やってきたのです。
いや、偶然じゃないですね。

この時は、彼氏が、
「あげてやれよ」と言うので、観念して家にあげました。

この機会にきっぱりあきらめてもらおうと、私は
彼氏の横にぴったりと寄り添い、

「私は今、この人と付き合ってる、あなたとはもう一年前に終わってるし、二度と付き合う気はないの。もう来ないで欲しい。」と
はっきり言いました。

けれど、その人は、ふふふと笑うのです。
元恋人は不敵な笑みを浮かべて言うのです。

「彼女は僕をまだ愛してる、嘘をついてるんだ。」と。

彼氏はうんざりしてるようでした。
こんな茶番に付き合っていられない、と思ったのか、
「きみはまだこの人を好きなんだろう?」
と言い始めました。

何もかもうまくいかないとはこの事です。
私の愛がどうの、なんて、この二人には関係なかったようです。

ただこの茶番を早く終わらせたいと思っていたようでした。

ストーカー

どうしても、どうしてももう一回だけ会ってくれ・・と何度も何度も言われてそのしつこさに負けてしまいました。

そのころ流行っていたカラオケスナックに行ったのですが、元来歌好きな私は、そこで楽しく歌ってしまったのです。
調子に乗った彼は、もう一回だけ会ってくれと言ってきました。

その執拗な様子に辟易していた私は
「一回だけという約束だった。」と言って拒絶したのです。

それから一ヶ月たった頃でしょうか。
家で友達と談笑していました。
私は姉の家に一人で住んでいました。
転勤で家族で引っ越したので留守番に住んでいたのです。

居間で久しぶりに遠方から里帰りをしてきた友としゃべっていました。
そこに、なんとなく気配がするので、ふと外を見ると
なんとそこに彼がいて、台所の窓から私を呼んでいるのです。

びっくりした私は、すぐさま「帰ってくれ」と言って追い返したのですが、
その様子を見ていた友達が
「いいの?」と言って気にし始めました。
かいつまんで事の成り行きを話したのですが
「それは○○ちゃんが悪いんじゃないの?」と言われてしまいました。
私が邪険だったので、男性がかわいそうに思われたのでしょう。

「とんでもない!」と心の中で思いながら、彼に対する想いはますます冷えていきました。

しかし、それから彼のストーカー行為が始まったのです。

悪女

私は噂では「悪女」ということになっていたようです。

東京から帰ってきてすぐ、ある男性と友達の結婚式で知り合いました。
それからしばらくして再会し、意気投合した私たちは
自然とつきあうようになりました。

彼はとても純情でまじめ、
農家の一人息子でした。

彼女がいたことがなかったらしく、私より2つくらい年上でしたが、
もっぱらすべてのリードは私がとっていました。

私は彼のことがとても好きでした。
純粋でいつも私をまっすぐに見つめ、とても美しい心の持ち主だと思っていました。
結婚も考えました。
農家の嫁になる?
私には無理だ・・・とずいぶん悩んでもいましたが、
どうにかなると思っていました。

順調につきあい続けて何ヶ月だったでしょうか。
一年も経っていなかったと思います。

突然彼が私に「別れたい」と言ったのです。

青天の霹靂?!
別れ話に通じるような喧嘩もしたことがなかったし、
いつも仲良くくっついて音楽を聴いたり、話をしたりしてすごしていたのです。

ドライブに行ったときでした。
港の人気のないところに車を停めて、彼が切り出しました。
「君と別れる」
「付き合うときから別れることは決めてたんだ」
「恋がどういうものか知りたかっただけなんだ」

計画的だったというのです。
彼の言う事がまったく理解できませんでした。
そんなふうには見えなかった、計画的に恋をするなんてできない筈だ!と思いました。

とにかく突然言われたので、私は言葉を失い、
「別れたくない」とだけ言いました。
そこで「そう、じゃいいよ」なんて言えるほど、あばずれてはおりません。
本当に好きだったのです。

しかし、彼の決心は固く、それですっかり綺麗に別れてしまうことになりました。

私は、事の成り行きがどうしても私の理解を超えていたので、
こういうことは早く忘れるに限ると思いました。

ほどなくして、又、仲のいい男性ができました。
遠方から月に1,2回くるセールスマンだったので、会うのはその時だけでしたが・・。
今まで付き合った男性にはないプレイボーイの匂いがしていました。
けれど刺激的で、なんとなく付き合いは続いていました。

そこに現われたのが農家の元彼でした。
突然現われ会って欲しいというのです。1年は経っていました。
何故!今!

悪いけど、ああいう別れ方をさせられて、私はあなたへの熱が冷めているし、今つきあってる人もいる。
会えないわ、と言っても、
とにかくいっぺんだけでいいから、としつこく言われました。

そこで会ってしまったのが運のつきだったと言えるでしょう。


長くなります、又次回へ。

お見合いもどき②

つい、②を書かなくちゃと思いつつ遅くなってしまいました。

この一件を書くと、つながってることがあって、どうしてもそこまで書いてしまいたくなるので、
とても長くなるんじゃないかと思いまして、躊躇しておりました。

これも妹の友達の紹介で、ある人と会うことになりました。
あまり良く覚えてないのですが、
何人かのグループで遊びに行きました。
その中のひとりでおとなしくて、無口な人でしたが、
とても感じが良くて、ほんわかしたお付き合いができるかなーとちょっぴり期待していました。

しかしそれから連絡がなかったので、
一回付き合う気があるのかどうか聞いてみて、と妹に頼み、
待っていました。

待てどくらせど返事がありません。
確かに聞いてもらったよねー。
たしか「もうちょっと待って」という返事だった。
もうちょっと待って、ということは考えてるということで、
返事を先伸ばしにしているということでしょう。
待ちますよね、そりゃ。

ずいぶん待ってみましたが、返事がいっこうにないので、
少し腹が立った私は今度は自分で電話してみました。

これが!なんと!「埒があかない」
のらりくらりとかわして返事をしてくれないのです。
そんなことは聞いてない、私の聞きたいのは付き合う意思があるのかどうか!なの。
その返事はいっさいせずに違う話をするんですね。

その電話でもちろん、私はあきらめました。
けれど、納得がいかないことが多かったので、
まわりの人から情報を聞きだしました。
そうしたら、私の前の恋人とのことを聞きつけたようす、と聞きました。

そんな女とは付き合えない、というわけです。

いったい私はどんな女?(笑)

何故お見合いをしようという気持ちになったのか、
それはそこから数年前に話をもどさなければいけません・・・。

気が散る

「気が散る」という言葉が適当かどうかはわかりませんが、

どうも、いつも気が散ってる状態です。

飽きっぽいというのともちょっと違う。

何故か、今現在のことより、違う事に気が行くのです。

夢想するのかな。

そういう性格ゆえ、引越しを繰り返しました。

環境を変えることによって、何か自分自身も変わるような錯覚に陥るのです。

それはほとんど、まったく、そういうことにはならなかったのですが。

それでも引越しというお金も労力もかかることを、何べんもやっちゃうという自分にあきれております。

今、住んでいるところも終の棲家、なんて思ってるわけではありません、
が、すでに5年ほど住んでいます。

今まで最長は、5年前まで住んでいたところで8年おりました。

ちょっと自分でびっくりです。

8年もいるなんて・・・。もっと早く引っ越したかった。

夏は暑く、冬は寒く、使い勝手の悪いワンルームで・・。

引っ越すたびに住まいはグレードアップしていったけど、別に収入がそれにともなってるわけでもなく、

けっこう苦戦を強いられてます(笑)

気が散る性格のおかげで、得することもあった、ような気もします。

まあ、一番は、現実逃避することによって、嫌なこと、つらいこと、から立ち直るのが早いということでしょうか。

落ち込んでも一瞬。
次の瞬間は笑うことができる、ある意味不謹慎なおなごです。

でも、いつも何かを考えてるという点では、
ぼーっと暮らすよりいいのかな。

秋といえば・・

運動会。

一年の中でもっとも嫌いな日(笑)

運動が苦手で、痩せてることがコンプレックスだったので

まず体操服姿になることが嫌だったのです。

女らしい、ふくよかな体型にどれだけ憧れたか。

なので、人前に出るのも嫌で、ちぢこまっていました。

今、考えればみんなむじゃきで、

そんなことどうでもよかったのかもしれませんが、

当人にとっては地獄でした。

授業中、体が固まって動かないのです。(羞恥で)

先生はそんなことわかりませんから、

体育は「2」だな、と心の中で採点するのです。

当然、走るのも遅く、跳べないし、泳ぎもできないし(水着なんてこれまたもってのほかだったので)
マット運動もできないし、球技も球は飛んでこないし、
唯一、ダンスだけはなんとかこなしてました。
リズム感はよかったんです。

運動会はたいてい暑いし、不快な想い出しかありません。
お弁当も親が来たのは中学までで、
高校はすべてひとりで教室で食べていた記憶があります。

その頃は、まだ、田舎ではそういう子供は少なかったですよ。

秋になって、保育園のタイコの練習の音が聞こえると

子供の頃の運動会の想い出がよみがえります。

かけっこでビリになりたくなくて、スタートの位置につくまでの待ち時間、
隣の人とけん制のし合い。

「速かっでしょ」「遅かよ~うわーあからんあからん」

自分より遅いかもしれない人を素早く目で探し、
ちょっと最低のびりにだけにはならないようにと
そっと祈るのです。


こういう私が、体操の先生になっているとは、
世の中不思議でございます。

子供時代

どういう子供だったかというと、

一言でいうと、暗い?

暗い、おとなしい、無口、陰気、がんこ、

こういう形容詞がほとんどだったような気がします。

でも、それは大人が決めること。

そして、この大人の決めつけが、子供の将来に大きな影響を及ぼすのです。

自分で自分のことがわからない小さな子供の頃は、

親の評価がすべてでした。

人に紹介されるときは、必ず

「すいません、この子は挨拶もできないで、おとなしいばっかりで。」と言われました。

愛想のいい、可愛い、素直な子供でなければ、親は恥ずかしかったのです。

そんなこと子供は知りませんよね。

とにかく、親から刷り込まれたコンプレックスは、長い間、
私から消えませんでした。

私のような子供はたくさんいたでしょう。
でも、すぐに、大人に愛されるのにはどうすればいいか、ということを学んでいくのです。

それがなかなかできなかった。

自分で自分を嫌いになるのはとてもたやすかったのです。
それができることのすべてでした。

そういう子供時代をすごしたこともあって
随分屈折した性格になりましたが、
今が幸せなので、すべて、チャラです。^^

これからも幸せであるために、生きていきたいし、

世の中の子供が、親の愛情を平等に受けられるように願っています。


お見合いもどき①

お見合いこりごりの私は、

もうしない、という意思表示をしているにも関わらず、いろいろなところから話しがやってきました。

ひとつは生命保険の外交員の方のおすすめ。

何故かその方と相手の男性の自宅へ招かれることになりました。

何故自宅へ?

まあ、とにかくくっついて行ってきました。

そこは貸しビルのような大きなビルでした。
しかし、空きビルです。
がらん、としています。
そこにたったひとりで住んでいる人でした。

ビルのオーナー?でも誰も入ってないし、何の仕事をしているんだろう?

謎だらけの人でしたが、

話しているうちに少しづつ、いえ、さっぱりわかりませんでした。


「僕は19歳のころから青春がなかった。」

「ずっと孤独だった。」

要するに病気だったようです。

では、なんの病気か、通風だそうで・・。

私も若かったので、通風がどんな病気か知りませんでした。
とにかくひどかったようで、歩けず、やせ細っていたそうです。

でも、その時はもうコロンとしてました。

「僕は青春時代を取り戻したいんだ」と言ってました。

ふーんと思って聞いてましたがあまり心を動かされませんでした。

それから、ドライブしようということになって、
私とその人と二人だけで、でかけました。
もうすっかり外は暗くなっていて、景色を見るわけでもなく、
車でふたりきりというのは、なんとも落ち着かなくていやな気分でした。

それというのも、なんとなく下心を感じていたからです。

車はそのころ流行のターボエンジンでした。
キーーンという音がします。

どんどんどんどん、明かりのないところへ向かって走っていきます。
たまらずに、
「この音はなんですか?」と聞きました。

そうしたら
「これはね、ターボエンジンの音だよ。」って嬉しそうに説明してくれました。

それからも何故か、どこかさっぱりわからないところへ車を走らせます。
田んぼの中なのか、海なのか、あたりは暗くてわからないけれど、細い一本道を走っています。

まずい、どうもこの先は行き止まりのようだ!と察知した私は、

「行き止まりのようですよ、帰りましょう!」
と言いました。

そうしたら少し残念そうにしていましたが、
言うことをきいてくれて帰ってくれました。

あーー危なかった・・。

もちろん、その後二度とお会いしてませんが、
今はどうされてるんでしょうねぇ。

働かなくても資産があって、不労所得だけで食べていけるようでしたので、なんとなく、世間ずれしてなかったのでしょうね。

う~ん、まだ若い私には、
仕事をしていない、というのが理解不能でした!


無遅刻無欠席

小学校から、高校まで、

たぶん、無遅刻。

欠席のほうは、数回高熱を出したことがあるので、

その時は休んだかもしれませんが、病欠以外で休んだことはないです。

何故か。

休みたくなかったから。

なんだか、すごい休むことに罪悪感があったんですよね。

立派な人間だと思われたい?

あまりそういうことは考えてなかったような気がしますが、

理由がないのに休むことは選択肢の中に入っていませんでした。

真面目?

いえいえ、とても不真面目な子供でした。

ただ、そういう規律や規則のようなものに捉われてしまう気の弱い子供だったのです。

冒険ができない。

学校の帰り、遊んで帰っちゃだめ、と先生に言われれば、
それをきちんと守って帰る。
なので、友達があまりいませんでした。

それでも、規則を破る、ということを考えただけでもドキドキしたものです。

何かによりどころを求めないと、怖くて不安で、
毎日を楽しく暮らすどころではなかったのです。

すべてのものの呪縛から解き放たれたのは、社会人になってからです。
それからは箍がはずれて大変でしたけど、

それでも、会社を休みたくない!という気持ちは
あまり学校へ行ってる時と変わってないような気がします。

毎日、同じ時間に行って、毎日同じ仕事をして、
という繰り返しが、私の性格にはとても必要なことだと知っているのです。
そうでないと、糸が切れたタコとなって
どこに飛んでいくかわからないからです・・・・・。

キャベツ

若いころ、一緒にいた恋人が、

私が風邪で熱を出したときに看病してくれて、

ごはんを作ってくれました。

冷蔵庫にはキャベツと玉子だけ。

で、キャベツと玉子の炒め物です。

彼は、もちろん料理などしたことがなく、きっと何も解らずに

見よう見まねで作ったのでしょう。

できたものは、油の中に泳いでる?ようなざく切りのキャベツと、玉子。

味付けは塩だけです。

作ってくれてる間は、嬉しさで涙が出そうでしたが、

それを見た途端、涙は引っ込んでしまいました。

「うえ、これを食べるのか・・・・。」

「私は熱があるんだよ、この油を食べるのか・・。」

そんなことは微塵も思ってないような顔をして、

感激で泣いて見せなくてはと思いつつやっぱり顔はひきつっていたでしょうか。

その時の料理の味は忘れられません。

彼の得意そうな顔も忘れられません。

「おいしい?」って聞いてくる彼。

「うん・・」っていう私。

あーかわいい青春時代ですね^^。

大人のいじめ

ある女性から、嫉妬のためにいじめられていたことがあります。

こう書くと、なんだか私が弱い女のように感じられますが、

とんでもはっぷん。

いじめをする女性の方がずっと弱いのです。

悲しい女心。

嫉妬というのは誤解の生んだ産物。

被害妄想から、自分の好きな人があの人と、あんなことこんなこと、と想像してしまいます。

あの女さえいなければ、と思ってしまうのです。

いじめと言っても、まあ、大人ですからかわいいものです。

「無視」「悪意の告げ口」「嘘」「無言電話」こういったものです。

私をしんから憎んだであろうその人は、

職場や家に何回も無言電話をかけてきました。

私は、私から攻撃したことはありません。

そんな人の相手をすることさえばかばかしかったからです。

「けんかなら正々堂々とやろうよ。」

私はそういう主義です。

人から誤解とはいえ憎まれることは、それはとてもつらいことです。

憤りで心はいっぱいになりました。

けれど、私の心は折れたりしませんでした。

自分に正義があると信じていたからです。

大人のいじめは陰湿なものがあります。

何故、陰湿ないじめをするか、

それは、その人が、嫉妬や怒りに心を支配されていて、自分でコントロールできず、
例えば、面と向かって攻撃しようとしたら、心にストッパーがつけられず自分自身がズタズタに傷つくのが分かっているからなのです。

弱い弱い女だからです。

自分が抜いた刃物で傷ついたときは、それは人から傷つけらた傷よりずっとずっと深いのです。

きっと、ひとり家に帰ったときは、身悶えして泣いた晩が幾度となくあったでしょう。

その頃は、そんなこと考えて優しい気持ちになるなんて、無理な話でしたが、今はそう思います。
かわいそうなのは私ではなく彼女でした。

未来を憂う

未来を憂うということは

今を見つめるということであり、

そして過去を知るということです。

そうすれば、自らがしなければいけないことや、

生きる方向がみつかる、ことにも繋がるのです。

小さな世界である、自分、も、

そして大きな世界である地球の未来も同じことです。

たどってきた不幸な道のりを考えれば、

今が見えてくるはず。

抽象的な言い方ですが、勉強不足のあなたも私も、

まだまだ具体的に何かを語るのは許されてないはずです。

もっと今を見つめることを真剣にしなければ、と思うのです。

未来のぜいたくは?

昨日、高速を走っていてふと考えたことはというと、

「ぜいたく」って何だろう・・ということ。

自分にとってぜいたくとは?

それは

「良く晴れた日に、木漏れ日の下で心地よい風を感じる」

かなあ・・。

それ以上のぜいたくは今のところちょっと思いつきません。

どんな場所でも、そこでそんな時間が過ごせればとても幸せです。

けれど

今はこんなささやかな「ぜいたく」と思ってることが、

数十年先には、それこそ「無理」で、お金を出しても買えないものになってるかもしれません。

だから、今はこれをささやか、だと思いたい。

ささやかなぜいたくじゃなくなった日々は想像したくありません。

今の子供が大人になったとき、

どういうことがぜいたくになっているのでしょうか。



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